こんにちは!
転勤族ママの桃です。
私は通信大学で勉強をしている30代子供3人転勤族ママの大学生です。
長女4歳、長男1歳の時に通信大学に入学しました。
これから通信大学をお考えの方の参考になればと思い、私の体験談をご紹介したいと思います。
国連に憧れた思春期

私は小さい頃から国際協力の仕事に興味がありました。
というのも小学校6年生の時に「ストリートチルドレン」のTVを見て同じ年齢の子供が働いている事実にものすごい衝撃を受けたのが始まりです。
とにかく行動!の私は弾丸でJICAに見学に行って話を聞きに行ったりしました。
そんな小さく純粋だった思春期真っただ中の私は、大人の事情も学歴のことも何も知らずに
「将来は国連かJAICで働きたい」と周りに言いふらしておりました。
大学進学は難しい現実
私なりにどうすれば国連やJICAで働けるか結構調べました。
調べて行きつくのはやはり大学に行くことは絶対のことでした。
しかし私はイノシシが出るような、ど田舎の出身で、大学まで行く子はほんの数名…ほとんどが高校を卒業して働くといった環境でした。
もちろん私の兄弟も高校卒業後仕事をしており、両親も私を大学に進学させるつもりは全くありませんでした。
今では大学進学に奨学金制度があることや新聞配達しながら進学といった様々な方法があったことが分かりますが、当時は両親も大学進学を許してくれず、進学のための制度を使用することも許されませんでした。
高校の時に大学進学を両親に相談したところ
「うちには大学に行くまでのお金はない。勉強したいなら自分で働いて行きなさい」と言われました。
「自分で働いて行きなさい」という言葉がその後の私に力をくれたと思っています。
結局当時の私には高校卒業後働くといったことしか与えられなかったなと思います。
ちなみに、これについて両親を恨んだりすることは特にありません。
ただ私の高校がちょっとした進学校だったこともあり、高校卒業後に働く子はほんの一部…。
周りの同級生には
「親が言うから大学に行く」
「何もやりたいこともないから、とりあえず大学に行く」といった子も多かったです。
子供ながらに「親の考え方とか、育つ環境って大事だな」と思ったことは覚えています。
仕事と遊びに明け暮れたバリバリ時代
こういった家庭の事情もあり大学進学はせず、高校卒業してからは地元を離れて公務員として働きました。
高校を卒業して地元を離れて就職したのは大きかったなと思います。
イノシシが出るような田舎娘が都会に出てきて受けた衝撃は半端ありません!w
すぐ近くにコンビニがあって駅から歩いて電車に乗って…。今では当たり前のことですが、当時18歳の私には毎日が刺激的でした。
同時に世の中には、たくさんの人がいて色々な考えがあるとことを痛感しました。
今までは凝り固まった世界にいた私ですが、社会に出たことで多くの価値観に出会ったことはとても刺激的でした。
同時に仕事も毎日無我夢中で頑張りました。そして沢山遊びました!
仕事でも多くの出会いもありましたし、怒られることや感謝されることもあり、仕事に大きなやりがいを感じていました。
そんな日常の中で私の中では「大学に行く」といったことはほとんど考えなくなりました。
結婚・子育てを経て…

そんなバリバリ時代があった私ですが、今の旦那さんと出会い25歳の時に結婚しました。
その翌年には長女も誕生して毎日家事・育児に明け暮れる日々でした。
同時に主人は転勤族だったため、出産と同時に仕事は辞めていました。
しかし実際仕事を辞めると、子供はもちろん可愛い、育児で忙しいのは当たり前なんですが、なんとなく毎日虚無感を感じるようになりました。
私の性格的に子供や主人のことだけを考えて生活する専業主婦という生き方が肌に合わない。と日々感じるようになったのです。
正直専業主婦は憧れでした。家にして子供と夫のために生活出来る主婦は幸せ!なんて思っていた私ですが、専業主婦は本当に辛い!!!!!!!!
辛さは人それぞれあると思いますが、仕事大好き人間だった私の場合は誰にも評価されず、社会との温度差がある生活に耐えられませんでした。
そこで再び思ったのは「大学」と「資格」でした。
日本語教師という仕事
幼い時から国際協力に興味があった私ですが、社会人になってからも興味は切れず
外国人サポートのボランティアや英語の勉強をしていました。
一時期JICA派遣に憧れて調べていた時もありました。
そこで知ったのが「日本語教師」という仕事です。
いつか時間が出来たらこの資格が取りたいと思いずっとお金を貯めていました。
子育てで虚無感を感じる毎日の中で「日本語教師」の資格を取りたいという熱意がふつふつと混みあがってきたのです。
日本語教師の資格を取得する条件
この日本語教師ですが、資格を取得するには幾つかの条件があります。
①文化庁の認める420時間以上の日本語教育に関する研修を受講する
②日本語教育能力検定試験に合格する
③四年制大学で日本語教育を専攻する
しかし資格を取得する以前に必要となるのが「大卒」という条件です。
(高卒でも資格を取得することが出来ますが、採用を考える【最終学歴:大卒】がほとんどです)
当初は日本語教師養成講座や日本語教育能力検定試験の受験等も考えました。
しかし採用には大卒がほとんどであって、働く実践を考えたら
「大学進学」と「日本語教師」資格目指してみようと改めて考えるようになったのです。
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山口絵理子さんとの出会い
子育て中に大学進学を決めた私ですが、
実際子育て中、転勤族の私にとって大学進学はとてもとても高いハードルでした。
30歳手前で子育て中の自分が大学に行くなんて想像も出来なかったのです。
「やっぱり大学は諦めて、仕事を始めよう」と思い始めていた時
とても大きな出会いがありました。
ある時ふと若手起業家のための講演会開催の案内をスーパーで見つけたのです。
別に起業なんてする予定もありませんでしたが、モヤモヤと悩んでる自分のヒントになるのではないか思い参加することにしたのです。
そのイベントにゲスト公演に来ていたのが
マザーハウス代表の山口絵理子さんです。
マザーハウスとは?
マザーハウスはアパレルや雑貨、ジュエリー等を製造・販売する企業です。
しかしただのアパレル会社ではありません。
代表である山口さんが「途上国から世界に通用するブランドを作る」を合言葉に2006年設立した会社です。
調達や製造をバングラデシュやネパールといったアジア6か国で行っており、現地でしっかりとした雇用を生み出しています。
現在では日本を中心に台湾、香港、シンガポールに店舗がありとても注目されている企業の一つです。
元々国際協力に興味があり、小さい頃から「発展途上国で働きたい」と思っていた私です。
同じ日本にマザーハウスのような企業があること、
山口絵理子さんという一人の女性が設立した企業があることに強い衝撃を受けました。
山口絵理子さんとは?
マザーハウスの基本を作った山口さんですが、22歳のときに単身でバングラデシュに渡ります。
22歳の女性1人でバングラデシュに渡る…。すごい行動力ですよね。
そこでジュート(黄麻)と出会い、ジュートからバッグなどの小物を作り始めたのがマザーハウスの始まりです。
設立当初は非常に苦労もされ、現地では怖い思いや裏切りにもあったと言います。
そんな山口さんがこの講演で言った言葉があります。
「みんな成功する前に諦める人が多い。」という言葉です。
「成功するために多くの日本人がバングラデシュに来た。しかしみんな諦めて帰っていった。成功するためには諦めないことが一番大事」ということでした。
非常にシンプルで、私には関係のないように思う言葉でしたが、30歳を手前に大学進学を悩んでいた私にはとても深い意味に聞こえたのです。
山口さんは本も出版されています。
ぜひ読んでみてください。
行動のみ!この出会いで大学進学を決める!


この山口さんと言葉との出会いによって私の人生が変わったと思います。
「子供と私の人生は違う。私の人生後悔したまま歳とっていいのかな。」
今まで「いつか大学に行きたい」「資格をとりたい」と思っていたままで何も行動出来なった自分がとても恥ずかしくなりました。
せっかく山口さんのお話を聞けた。よし。ここで大学に行くことを決心しよう。と心に決めたのです。
次回進学先決定編へ続きます。
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